セウォル号沈没事故は300人以上の犠牲者を出しました。
また、その犠牲者の多くは修学旅行で船に乗ったソウル近郊の高校の生徒たちやその教職員でした。
しかし、多くの生徒たちが犠牲となる中、乗組員には助かった者が多くいたと言われています。
では、なぜ多くの生徒たちが犠牲になり、乗組員は助かったのでしょうか?
また、セウォル号沈没事故はどうやって起こったのでしょうか?
セウォル号沈没事故の経緯
2014年に起こったセウォル号沈没事故は、多くの犠牲者を出した悲惨な事故です。
では、その事故とは一体どうやって起こった事故だったのでしょうか?
まずは、事故の経緯を確認しておきましょう。
出港
セウォル号は2014年4月15日に港から出港しました。
出港の時刻は午後9時頃でした。
本来は午後6時に出港するはずでしたが、濃霧の影響によって2時間ほど出港が遅れたそうです。
船の急激な旋回
船は翌日も海の上でした。
8時49分頃、海を進むセウォル号は急に右へと旋回します。
その後、さらに方向を変えて旋回したことで船は大きく傾き、横に倒れてしまいました。
乗客や船員たちによると、「ドンと音がして船が傾いた」「船の前方から衝撃があった」などと感じたそうです。
また、「船が大きく傾いて、一気に水が入ってきた」と言った乗客もいるそうです。
船からの避難
8時52分頃に、乗客の携帯電話を使って消防に最初の通報がされます。
8時55分頃には、情報を受けた海上交通管制センターがセウォル号に対して、乗客に救命胴衣を着用させるなどの避難準備をする指示が出されました。
また、9時24分頃には脱出の決断も指示されています。
10時17分頃、船が倒れてからわずか100分ほどで船体はほぼ沈没します。
船の引き上げ
沈没から2日後、行方不明者の捜索や事故の調査などが進められる中、船の引き上げ作業も進められました。
しかし、クレーン船3隻でも船の引き上げがどうやってもできず、船は完全に沈没してしまいます。
また、救助活動中の事故で韓国軍兵士や民間ダイバーなども命を落とされています。
乗組員への事情聴取
沈没事故から約3日後、救助された乗組員の15名に事情聴取がされました。
その後、乗組員15名は逮捕されます。
また、4名は殺人罪で起訴されることになりました。
事故の調査結果
セウォル号沈没事故の被害者は最終的に300人以上となりました。
また、調査によって事故時の船の状態や乗組員の対応など、どうやって船が沈没していったのかが明らかになっていきました。
ただし、どうやって事故が起こったのか明らかになっていくごとに、船側の対応に批判が集まることになります。
ただし、事故の具体的な原因については調査から結論を出すことはできなかったようです。
船の引き上げ作業の完了
船の引き上げ作業が完了したのは2017年です。
引き上げられた船内からは行方不明のままとなっていた人の遺骨も発見されました。
しかし、それでもまだ5名が行方不明のままとなっています。
沈没事故からのその後
遺族は事故の責任を政府に問うため、2015年に訴訟を起こしました。
2018年には一部政府の責任が認められ、遺族1世帯に2億ウォンの賠償が命じられます。
また、事故で命を落とした生徒たちは2019年に名誉卒業式が行われました。
本来であれば卒業は2016年でしたが、遺体収容や調査などが続けられていたため、卒業式は延期されていました。
セウォル号沈没事故の原因
セウォル号沈没事故の具体的な原因は調査で結論が出ませんでした。
しかし、調査や証言などから考えられる可能性や、憶測や推測などはいろいろとあるようです。
では、沈没の原因にはどのようなもの考えられるのでしょうか?
過積載
船も車と同様に最大積載量があり、安全のためには積載量を守らなければなりません。
しかし、セウォル号は最大積載量の3.6倍の重さとなる車両や貨物などを載せていたと言われています。
明らかな過積載であったことから安全を保てなかったと考えられています。
船の改造
セウォル号は1994年に日本で建造された船です。
日本では鹿児島と沖縄を結ぶフェリーとして使われていました。
2012年にフェリーとしての役目を終えると、ジャンク品として韓国の海運会社に売却されます。
しかし、売却されたフェリーは解体して部品などが活用されたのではなく、クルーズ船に改造されて2013年からセウォル号として使われました。
また、施された改造は最上階部分に客室を増設したり、貨物用ランプウェイを取り外すなどの船体のバランスに影響を与えるものでした。
改造の内容自体は違法なものではありませんが、バランスが変わったことで船が倒れやすくなったと考えられているようです。
船の故障
セウォル号は2013年から運行を開始していますが、船自体が建造されたのは1994年です。
また、2012年まで日本で使われていた物なので、単純に船の故障が原因と考える人もいます。
実際に沈没事故を起こす2カ月前の検査では5カ所の不具合が見つかっていたそうです。
その不具合は措置を取ったと報告はあげられたものの、再検査は行われなかったと言われています。
そのため、「実は不具合を解消していなかったのでは?」と疑う声もあったようです。
事故時の対応にも問題があった?
万が一に備えて、船の乗組員は沈没時に対する訓練を積んでいます。
そのため、乗客は乗組員の指示に従うことで、被害は最小限に抑えられるはずです。
しかし、事故時に乗組員たちが取った対応には批判されることになります。
では、なぜ乗組員が批判を受けることになったのでしょうか?
待機のアナウンス
事故直後、乗客たちは明らかな船の傾きを感じていました。
「なぜ船が傾いていることがわかっていて逃げなかったの?」と不思議に思う人もいるでしょう。
このとき、船内アナウンスでは船内から動かないように待機の指示が出ていたそうです。
しかし、船が傾いてから約80分後、急に海に飛び込んで船から脱出する指示が出されました。
待機を命じられていた乗客が、急に「海に飛び込め」と言われても、対応は難しいでしょう。
そのため、多くの乗客が逃げなかったのではなく、指示によって逃げ遅れたと言われています。
操船関係者の行動
船が沈没事故を起こした際には、避難指示を決定する船長や救命ボートを出す機関士など、操船関係者の役割は重要です。
しかし、操船関係者15名はそれらの役割を果たすことなく、専用通路から乗客より先に脱出しました。
さすがにこの対応には国内外から大きな批判があがりました。
事故時に操船していた人物
沈没事故が起こった際、船を操船していたのは新人の三等航海士だったそうです。
三等航海士が操船すること自体は問題ありません。
しかし、船の沈没前に急旋回をしていることから「技量は十分にあったのか?」と、配置を疑問視する人もいるようです。
また、「新人が操船しているのに誰も横についていなかったのか?」などの声もあるようです。
救助に奔走した乗組員もいた
セウォル号沈没事故は、操船関係者15名の印象があまりにも強いため、船の関係者全員の対応が悪かったと思われがちです。
しかし、中には先に逃げなかった乗組員もいました。
船が沈没していく中で必死に避難誘導をしてくれたり、自分よりも乗客を優先して救命胴衣を配るなど、適切な対応をしてくれたそうです。
韓国の船員法では、船長は緊急時に人命救助に尽くして、乗客が全員降りるまで船を離れてはいけないことになっています。
そのため、乗客より先に逃げた操船関係者15名は後に逮捕されることになります。
セウォル号沈没事故のことを知っておこう
セウォル号沈没事故は300名以上の被害者が出た大きな事故です。
その事故は操船関係者が先に逃げ出さなければ助かった命もあったと考えられます。
そのため、今後の沈没事故の教訓とするにしても、あまりにも被害が大きすぎるでしょう。
せめて、このような悲惨な事故があったことを知っておき、忘れないようにしなければなりません。