【動画あり】衝撃のアート作品「リズム0」とは?パフォーマンスの詳細を徹底解説!

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「一人じゃ出来ないけど、誰かがやっていたら自分も出来る」こうした心理はおそらく誰もが経験したことがああるのではないでしょうか。

それは良い意味でも悪い意味でも。

今回ご紹介するリズム0」というのはそんな人間の集団心理を浮き彫りにした衝撃のパフォーマンスです。

目次

検索してはいけない!?「リズム0」で作者は何された?

約50年前の1974年、イタリアでその衝撃のパフォーマンスショー、「リズム0」は始まりました。

たった一つのパフォーマンスショーがなぜ、約50年経った今でも語り継がれ、検索してはいけない言葉となってしまったのでしょうか。

そこにはパフォーマンスショーというにはあまりにもかけ離れた光景があったからです。

6時間もの間、無抵抗で居続けた

リズム0の主催者は、ユーゴスラビア出身の芸術家であるマリーナ・アブラモヴィッチという一人の女性です。

彼女はパフォーマンス会場に集まった観客に対して、これから6時間私は人間ではなく物体になるので、テーブル上に置いてある物体を私に自由に使用してください。責任は私が取ります。」と告げショーを始めました。

ちなみにテーブルの上に置いてあった物体とは総数72個で、お花やチョコレートブラウニー、ナイフやカミソリ、弾を込めた拳銃などランダムに用意されていたようです。

ショーが始まった当初の観客たちは彼女に対して思いやりのある行動を取っていました。

テーブルに用意してあった薔薇を持たせたりケーキを食べさせたり、彼女に優しく触れるなど会場の雰囲気も落ち着いていて穏やかな様子でした。

しかしショー開始から時間が経つにつれ観客の対応が徐々に変わり始めるのです。

こちらがリズム0の実際の様子の動画です。

年齢制限が設けられている動画の為、苦手な方はご遠慮ください。

観客は次第にエスカレート!作者はどうなった?

穏やかな雰囲気の会場は一人の男性が、マリーナ・アブラモヴィッチに平手打ちをしたことから変化していきます。

それをきっかけに観客の行動は攻撃的になり彼女を苦しめるようになっていくのです。

次第に彼女の洋服をハサミで切り、乳房にバラの花びらを貼り付けたり、カミソリで体を傷つけ血を飲むものまで現れたのだとか。

しかしそれだけでは満足しません。

複数の観客は彼女を抱えテーブルの上に運び、傷だらけの彼女に更なる嫌がらせが行えるようにしたのです。

しまいには彼女に実弾入りの銃を突きつけ、本人にその銃を持たせる者まで現れました。

流石にこの行動には止める者も現れステージでは喧嘩が起こったのだとか。

穏やかであった雰囲気は一変し、さっきまで優しく彼女に薔薇を渡していた者でさえも攻撃的な行動を取るようになっていました。

観客によって傷つけられた傷口から血が流れ、彼女の目からは涙が流れているにも関わらず、観客たちによって繰り広げられるエスカレートした嫌がらせは続いたのです。

1人の正しい行動が観客を変えた!

そんな時、1人の観客女性がマリーナ・アブラモヴィッチに静かに近づき、優しく彼女の涙を拭いゆっくりと彼女を抱きしめました。

その後嫌がらせはしていないものの、何もしなかった観客たちも歩み寄り、彼女の体から流れている血を拭いたり、裸で放置されたいた彼女にシーツをかけはじめました。

多数が彼女に嫌がらせをする中、たった1人の勇気ある行動が、見ているだけで何も出来なかった観客達の行動を変えたのです。

観客が恐怖で逃げた!?「リズム0」の最後

6時間のパフォーマンスが終了し、今まで動くことがなかったマリーナ・アブラモヴィッチが動き出しました。

観客によって半裸にされ、傷つけられたことで血と涙を流しているにも関わらず、生身の人間である彼女に声をかける者はおらず、まともに見ることさえしなかったのです。

それどころかパニックになり、怯えて逃げ出す始末です。

彼らは自らが行った酷い行動を受けた一人の人と真正面から向き合うことを恐れたことでしょう。

パフォーマンス後は恐怖で白髪に

パフォーマンスを終えたマリーナ・アブラモヴィッチは恐怖のあまり髪が一筋白髪になっていたそうです。

数時間で髪が白髪になるにはどれほどの恐怖と苦痛が必要だったかは、想像することすら難しい状況です。

リズム0はマリーナ・アブラモヴィッチの名前を美術史に刻んだのと同時に間の隠された恐ろしい狂気をあわらにしたアートパフォーマンスとなりました。

反撃しない者に対して非人道的に扱うことがいかに簡単か証明した、正常な人間はステージさえあれば暴力的になり得る可能性があるとマリーナ・アブラモヴィッチは語ったそうです。

「リズム0」を創り出したマリーナ・アブラモビッチとは

ここまでは、リズム0でマリーナ・アブラモヴィッチが何をされその後どうなったのかについてまとめていきました。

犯罪者でもない普通の人達によって行われたリズム0は、1人の人間である我々も同じ状況になれば、同じ行動をとる可能性があることを証明した、人ごととは思えない衝撃のパフォーマンス・アートではないでしょうか。

さて、ここからは今まで取り上げてきたリズム0パフォーマンスショーの主催者であり、アートの作者であるマリーナ・アブラモヴィッチについてまとめていきたいと思います。

アメリカで活躍するパフォーマンス・アーティスト

マリーナ・アブラモヴィッチは、ユーゴスラビア(現在のセルビア・モンテネグロ)出身のパフォーマンス・アーティストです。

現在はアメリカを中心に活動されており、世界中の美術館で作品の展示会が開催されるなどの人気作家として知られています。

先程ご紹介したリズム0はそんな彼女の代表作となった作品でもあり、今もなお活躍し続ける彼女は、「パフォーマンス・アートのグランドマザー」と呼ばれその影響力の高さで注目を集めています。

パフォーマンス・アートとは

パフォーマンス・アートとは芸術家自身の身体で作品を表現し、自身が媒体となり作成する芸術のことです。

自分の身体を使って作品を作るとなると演劇に近いように感じますが、演劇と大きく違うところは、パフォーマンス・アーティストは他人を演じず自身として登場することです。

またパフォーマンス・アートは多くの人たちに直接訴える方法です。

そしてそれは新鮮な感覚や驚きを人々に与え、その芸術感を見直す方法でもあったのです。

マリーナ・アブラモビッチの経歴

マリーナ・アブラモヴィッチは1946年11月30日にユーゴスラビア(現在のセルビア・モンテネグロ)で誕生しました。

家族は父、母、弟の4人家族で幼少期は母親の厳しい監視環境で過ごし、母親からの暴力も日常的に受けていたようです。

それについて、母親は私と弟を完全に暴力で支配していたと語っており壮絶な生い立ちを感じます。

1965年から1970年まではベオグラードの美術大学に在籍し、1972年にクロアチアのザグレブにある美術大学で大学院を卒業しています。

その後は母国に戻り、美術大学の教鞭を取りながら最初のパフォーマンスを行っていたようです。

また、パリの芸術アカデミーやベルリン芸術大学、ハンブルク芸術大学の客員教授、ブラウンシュヴァイク芸術大学の教授を務めるなど教育にも熱心に取り組んでいる様子が伺えます。

マリーナ・アブラモビッチの作品一覧

パフォーマンス・アーティストとして活躍しているマリーナ・アブラモヴィッチはリズム0以外にどんな作品を手掛けているのでしょうか?

人気アーティストゆえ、展示会も全世界で行われています。

そんな作品のごく一部を紹介していきましょう。

「Rhythm」シリーズ

リズム0が最も有名な作品ですが、リズム0以外にもリズムシリーズがあるのです。

またこのリズムシリーズはマリーナ・アブラモヴィッチの初期のパフォーマンス作品です。

そんなリズムシリーズをご紹介いたします。

リズム10(1973年)
20本のナイフと2つの録音機を使用したロシアンルーレットを行なっていきます。
音楽に合わせてリズミカルに指の間にナイフを刺していき、失敗し指を傷つける度に新しいナイフに変えていくのです。
そしてその失敗を録音機で録画し、20回繰り返した後に、録画した音源を元に同じ失敗を再現しようとしたのです。
このパフォーマンスを通して、マリーナ・アブラモヴィッチは同じ動作を繰り返し行うことで過去と現在の融合、また精神的・肉体的な限界を探ろうとしました。
リズム5(1974年)
大きな星型の枠にガソリンを流しこみ、火をつけその枠の中にマリーナ・アブラモヴィッチ自身の爪や髪を投げ入れます。
星と赤い炎を共産主義の象徴に見立て、彼女自身の身体の一部を投げ入れることで過去の政治的伝統に対する浄化を行なったとされています。
最終的には星の真ん中へ飛び込み、全身で身体的・精神的な浄化を試みましたが、酸素不足で意識を失うも彼女は救出され一命を取り留めました。

リズム5の写真

リズム2(1974年)
リズム5で意識を失ったことに対して、無意識だと何も出来ないと悔しさを露わにしていたマリーナ・アブラモヴィッチは、リズム2で無意識をパフォーマンスに取り入れることにしました。
詳細は、緊張症の患者のために投与される薬と暴力的な行動を抑えるための薬を2部制に分けて服用するというものです。
1部で飲んだ薬で彼女は何が起こっているのかは理解できるものの身体のコントロールは出来なくなったとのこと。
5時間のパフォーマンス後、薬が切れたことで終了しました。
リズム4(1974年)
リズム4では高出力の扇風機を用意し、裸の姿でパフォーマンスを行なったマリーナ・アブラモヴィッチ。
肺の限界に挑戦すべく扇風機から出る空気を出来る限りたくさん吸い込んだが程なくして彼女は意識を失いました。

ウライとのコラボ

マリーナ・アブラモヴィッチは同じパフォーマンス・アーティストのウライと出会います。

そして2人はお互いのアイデンティティーを高め合いながら、様々な角度から探求した数多くの共同作品を作り出すのです。

そんな2人の代表的な作品が1977年の時間の関係(Relation in Time)です。

背中合わせで座った2人はお互いの髪の毛をポニーテールにし、それぞれの髪同士を繋ぎ合わせて16時間拘束されました。

最後の1時間は一般の観客に部屋に入ってもらい、そのエネルギーを取り入れて自分たちの限界を広げられるかを試したのだとか。

Rest Energy

Rest Energy(休息のエネルギー)もマリーナ・アブラモヴィッチとウライによる共同作品です。

こちらは1980年の作品で、矢をつがえた弓を2人で引っ張り合うパフォーマンスです。

矢の先端はマリーナ・アブラモヴィッチの心臓に向けられており、少しでもバランスを崩してしまえば彼女に刺さってしまう。

互いに強い信頼関係がないと成立しない作品を作り出した2人はこの時、双子のように振る舞っていたのです。

The Artist Is Present

2010年3月にニューヨークの近代美術館(MoMA)でもマリーナ・アブラモヴィッチはパフォーマンスを行なっています。

パフォーマンスの詳細は、MoMAの展示室にマリーナ・アブラモヴィッチが座っており見にきた観客は彼女と向かい合って座れるというものです。

展示期間中の736時間30分を沈黙のまま過ごし、次々とやってきては対峙する観客との時間を共有しました。

塩田千春の師匠だった!

塩田千春とは、ベルリンを拠点に活躍している日本人美術芸術家です。

大阪府出身の彼女は京都精華大学美術部を卒業後、交換留学生としてオーストラリア国際大学に留学します。

その時から、空間に絵を描くような糸の作品などを作成していたのだとか。

1977年にはブラウンシュバイク美術大学にて教授をしていたマリーナ・アブラモヴィッチを師事していたようです。

彼女の作品は普段何気なく目にする日常の中に死の恐怖と生の迫力を同時に感じられ、見るものを魅了しています。

「リズム0」に似た集団心理の怖すぎる事件14選!

検索してはいけないと言われているリズム0について、また作者であるマリーナ・アブラモヴィッチや彼女の作品についてご紹介しました。

1人じゃ出来ない事も集団であれば出来てしまう・・・

そんな集団心理というのは良い方向に向けば大きな力となり、人々を励ますでしょう。

しかし逆方向に向くと人は簡単に想像できないくらい無惨なことが出来てしまうです。

そしてそのような集団心理がもたらした恐怖の事件は実際に起きており、多数確認されているのです。

①稲村亜美事件

2018年の3月、新宮球場にて日本リトルシニア中学生硬式野球大会が開催されました。

そしてその大会の始球式に出場したのがタレントの稲村亜美。

可愛らしい見た目と自身も野球経験者という事もあり、野球少年からすると憧れの存在だったのでしょうか。

最初は彼女を取り囲むように一定の距離を空けていたものの、突然彼女に向かって学生達が押し合うように走り出し体が密着するほど、稲村亜美に近づいたのです。

幸い稲村亜美に怪我は無かったものの、中には転けて怪我をする学生もいたのだとか。

一歩間違えれば大惨事になっていたこの出来事も、大勢が集まることで気持ちが大きくなり行動したから起きたことと十分に考えられるでしょう。

②マウンテンメドウの大量虐殺


1857年9月、ユタ州南部で、荷馬車でカリフォルニアに向かっていた約120人もの移住団がモルモン教徒と先住民のパイユート族によって虐殺されました。

モルモン教徒達は、移住団に対して敵であると判断し先住民を味方につけ、大人、子供構わず大勢の人を殺したのです。

この虐殺を免れることができたのは6歳以下の17歳の子供だけでした。

事件が起きたのが、マウンテンメドウと呼ばれる峡谷だったのでマウンテンメドウ大量虐殺と言われています。

③九月虐殺

1792年9月から数日間に渡り、フランス・パリの監獄で民衆が反革命派の人々を次々に襲い大虐殺する事件が起きました。

被害者の数なんと、パリで1300人、地方で150人。

当時のパリでは反革命派たちが外国の軍平と協力して革命を潰そうとしているのではないかとの噂がありました。

その事から、民衆派の弁護士ダントンは民衆へ「常に大胆さが必要である、そうすればフランスは救われる」と演説。

この演説をきっかけに、母国のフランスが危機にあり、革命を邪魔しようとしている反革命派は国内の敵、敵を征伐しようと民衆達は惨殺を実行したのです。

王妃マリー・アントワネットの親友であったランバル夫人もこの虐殺の被害者で、目を覆いたくなる程無惨に殺され死体を見せびらかされたのです。

民衆が集まり数日間で多くの人々の命を奪いさったこの事件はあまりにも異常だといえるの行動です。

④セイラム魔女裁判

むやみに少数派の人を迫害する「魔女狩り」という言葉は今でも使われている言葉ではないでしょうか。

この言葉の由来となった事件がセイラム魔女裁判です。

1692年アメリカのマサチューセッツ州で突然少女達が発作を起こし卒倒するなどの奇妙な症状が出始め、少女達はそれは魔女のせいだとし、特定の女性達を指差しました。

医者も少女達は取り憑かれていると断言し、村人はパニック。

何の証拠もない中で次々と村人達を告発し、実に200人近くが逮捕されたです。

そして拷問ののちの告白で有罪判決を受けた逮捕者のうち19人が処刑され、1人は拷問死、5人が監獄死、合計25名もの命が奪われたのです。

当時大混乱を招いていた村では、お上も市民も楽しむように魔女制裁をしており、集団心理が働いた悲惨な事件の1つだと言えるでしょう。

⑤第二次 赤の恐怖

1947年から1957年の間にアメリカで今度は共産主義者を次々に追い詰めていく2回目の赤の恐怖がおきました。

当時アメリカの人々は、ジョセフ・マッカーシー上院議員らの影響で、政府や社会のあらゆるところに共産主義者がいると信じていたのだとか。

不法な捜査や差し押さえの禁止が法律で決まっているにも関わらず、共産主義者達に対しては無効にされました。

その結果、疑わしい者の自宅へ不法侵入し、手紙や書類を盗み見たり、電話に盗聴器を仕掛けるなどプライバシーを完全に侵害したのです。

この行為を国民や大統領、最高裁も見てみぬふりをし、あくまでも傍観者であり続けたようです。

⑥バーニンング・マン・フェスティバル

世界最大の奇祭と言われているバーニング・マン・フェスティバル。

この祭りは、1986年にサンフランシスコの浜辺で開催されてから今でも続いているイベントです。

最初は小規模なグループから始まりましたが、今では1週間に渡り行われ、5万人が参加するほどの大きなイベントになっています。

このイベントを一言で表すなら社会実験のような印象でしょうか。

イベント中の決まりやルールはほとんどありません。

普段であれば、さまざまなルールや常識が存在し、通常正常な人であればそのルールに沿って生活していることでしょうが、このイベントではそれを逸脱することが許されるのです。

暴力には繋がらないものの、自由が許されると人は自分のしたいような行動を始めます。

1人が服を脱ぎ始めると誰かも脱ぎ始めるのようにバーニング・マン・フェスティバルとは誰かがやると自分もやる、そんな群集心理として例えられています。

⑦フランス革命での恐怖政治

国民に恐怖を抱かせ、強引な支配のもと自らの権力を保つ、恐怖政治。

フランスでこの恐怖政治が行われていた間、約5万人もの国民が処刑されたり、監獄死し、命を奪われたのです。

その犠牲者は、革命反対派から過激派、またその疑いをかけられた人までに及び、王妃であったマリー・アントワネットも処刑されてしまいます。

処刑方法の一つであったギロチン(断頭台)も国民を恐怖の渦へ巻き込んでいき、それだけではなくもっと過激な今では考えられないようなことが日常的に行われていました。

この地獄のような政治は1年間も続き、革命的な指導者が殺人者でしかないことにやっと国民は気づき、最後の1人を処刑して恐怖政治は幕を下ろしました。

⑧ジップ・トゥー・ザップ


ノースダコタ州立大学の学生1人がフロリダのフォートローダデールでの春の祭りに参加することが出来なかった代わりにノースダコタの小さな町であるザップでイベントを開こうとしたことがきっかけでこの事件は起こります。

そしてこの事件は学生達によって暴動へと変わってしまうのです。

ザップで学生がイベントを開くということは学生新聞や広告ですぐに広まり、3000人近くの学生が人口250人の小さな町に押し寄せました。

酒は足りなくなり居酒屋は消費を抑えようと値段を倍に上げますが、それが学生達の怒りに買うことに。

酒がなくなると学生達は町を破壊し始めたのです。

収集がつかなくなり、最終的には初めて州兵が暴動を鎮めるために出動する事になったのです。

⑨ホロコースト

人種差別と聞いて真っ先に思いつくのがナチスドイツが行ったユダヤ人大量虐殺ではないでしょうか。

ヨーロッパに住むユダヤ人はユダヤ人であるということだけを理由に、老若男女関係なく収容所に入れられ、強制労働で自由は奪われ、じつにユダヤ人全体の3分の2もの人々が無惨にも殺害されたのです。

この悲劇は2度と繰り返してはならないとし、世界の歴史に深く刻まれ、今もなお全世界で語り継がれています。

ユダヤ人が収監されていた収容所には、2400人の親衛隊髑髏部隊がいて、何の罪もないユダヤ人の殺害を実行していました。

彼らもごく普通の人間のはずです。

そんな普通の人間でも残酷で非人道的なことが意図も簡単に出来てしまう殺人マシーンへと化してしまったのです。

中学生ホームレス暴行死事件


2002年、東京でホームレスの男性に中高生の少年らが1時間半にわたる暴行を加え殺害するという事件が起きました。

動機は、被害者に図書館で注意されそれに腹をたてたこと。

少年たちは注意された男性がホームレスだとわかると仲間を連れて複数人で暴行しました。

そんな加害者である少年たちのほとんどは、いけないことだと分かっていたけどみんながやったから自分もしたと語っており、集団で気持ちが大きくなったからこそ起きた悲しい事件と言えるでしょう。

⑪川崎市中1男子生徒殺害事件

2015年の2月、川崎市で中学一年生だった被害者が友人達に暴行ののち刃物で刺され殺害後、河川敷に遺棄される事件が発生しました。

この事件の原因は男子中学生と主犯格である地元でも有名な不良少年との些細なトラブルだったようです。

主犯格の少年は、2人の別の少年を誘い、合計3人で事件を実行しました。

主犯格の少年は、殺すつもりはなかったが友人の前で引くに引けなくなったと語っており、また誘われた2人も雰囲気でエスカレートしてしまったと供述したようです。

もしそれぞれが1人でやっていたら殺害には至らなかったかもしれないと思うと、集団心理の恐ろしさを改めて感じる事件です。

⑫キティ・ジェノヴィーズ事件

1964年アメリカのキティ(キャスリーン)・ジェノヴィーズという女性が帰宅途中に何度も刺され殺害されました。

彼女が悲鳴を上げるとそれに気付いたのか、近隣住民の家の灯はともり犯人は一度立ち去りました。

しかしその後部屋の灯が消えると再度犯人は彼女の元へ戻り、致命傷を負わせ命を奪ったのです。

犯人は同様の犯行を繰り返しており、近隣住民はどうせ通報しないだろうという傍観真理を理解していたと語ったようで、皮肉にも実際通報は彼女が絶命してからされています。

一度目の叫び声を聞いた時に通報していたり、声をあげていたら彼女は命を落とさずに済んだかもしれません。

この事は誰かがするであろうという傍観心理が提唱されたきっかけとなったと言われています。

ヒルズボロの悲劇

1989年イギリスのヒルズボロスタジアムでサッカーFAカップの準決勝が開催されました。

楽しく応援しようと意気込んでいた方がほとんどでしょう。

そんな時、警備経験のない警備員の誤った判断で観客席のキャパを遥かに超える人数が案内されたことにより、群衆事故が発生、96名もの観客が亡くなりました。

イギリスのスポーツ史上最悪の事故であると位置付けられ、今でも事件の日にはスタジアムで黙祷を掲げているようです。

⑭集団りんご強奪事件

1984年4月に大阪で総額40万円ほどのりんごが人々によって強奪される事件が起きました。

被害者は、青森から行商にやってきて80箱のりんごをトラックの荷台に積み、販売していました。

電話をかけるため、被害者が少し目を離した隙に、「試食をしていただいて結構です」と垂れ幕があったことをいいことに一つのりんごを手にした人が現れたのです。

そこからりんごはタダだということになりあっという間にトラックの前は身動き出来ないほどの人だかりが出来、たくさんあったりんごはなくなりました。

戻ってきた被害者は呆然としたそうです。

大切に作ったりんごだったことでしょう、強引に盗まれ、悲しい思いをしたに違いありません。

非常識すぎるともいえる行動ができたのも、集団心理によるものだと考えられますよね。

リズム0で分かった集団心理の恐ろしさ

パフォーマンス・アート、リズム0で作者が何をされたのか、そして集団心理がもたらす人間の隠れた恐ろしさをまとめていきました。

周りに合わせて行動することは協調性があり、良しとされるケースが多いでしょう。

しかし時として人間は集団によって誰しもが理性を失い、暴力的な行動が出来てしまうのです。

この集団心理の恐ろしさを忘れずに心に留めておきたいですね。

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