8月25日の女子100メートル背泳ぎ(運動機能障害S2)の決勝で、パラ日本勢で全競技を通して史上最年少14歳で銀メダルを山田美幸選手。
生まれつき両腕がなく、両脚の長さも違う彼女が、
〇背泳ぎをはじめたきっかけ、
〇毎日続けた独自の過酷な練習内容、
〇強いメンタルの強さの理由
について調べました。
すべて14歳という若さとは思えない、大人顔負けの内容でした!




水泳をはじめたのはいつ?
山田選手は、保育園時代5歳から水泳をはじめています。
その理由は、
①小児ぜんそくを克服するため
②「お風呂でおぼれないように」
③2016年のリオデジャネイロ大会をテレビで観戦したこと
です。
その後小学1年から地元の水泳教室に通い、
競泳選手を目指して本格的に競技をはじめたのは、2016年のリオデジャネイロ大会でテレビを観戦したことがきっかけです。
過去に山田選手は、リオデジャネイロ大会についてこのように語っています。
「一番印象に残っているのは泳ぎ終わった時の歓声とインタビューでみんな笑っていたこと。一生懸命泳ぐ、一生懸命競い合うってこんなに楽しいんだ」
出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/a64317b61bbcc318b52c5493332d34d702889d50

画像出典:https://www.asahi.com/articles/ASP507SGNP5ZUOHB009.html?iref=pc_rellink_04
もともと自由形が得意だった
山田選手は、もともと自由形が得意でした。
過去には17年のジャパンパラ大会で200メートル自由形を制し、19年の同大会では50メートル背泳ぎと100メートル自由形の2冠を達成しています。
しかし、
2020年2月、国際大会のクラス分けで障害区分が当時の「S3」からより障害が重い「S2」に変わったのです。
そして、「S2」では出られる種目が背泳ぎだけになり、得意としていた自由形で戦えなくなってしまったのです。
「背泳ぎが大嫌いだった」

クラス分けでやむなく背泳ぎへ種目を切り替えた山田選手、実は背泳ぎが大嫌いだったようです。
岡野高志コーチ(45)によると「泳ぐと水を飲んでしまうから、背泳ぎは大嫌いだった」。
出典:https://www.asahi.com/articles/ASP8T5SW0P8LUTIL00C.html
それでも、19年から目標にしていたというパラに出場するため、自分の体にあった泳法を身につけていった。
昨年2月のクラス変更を機に、苦手だった背泳ぎの本格的な練習をスタートした山田選手。
この短時間でメダル獲得を果たした訳は、独自の過酷なトレーニングでした。
排水溝のフタを引く過酷なトレーニング内容
両腕が使えない山田選手にとって武器となるのは脚力です。
そのため、練習内容も脚力の強化に特化した独自のものでした。
例えば、
はじめは、水中用のパラシュート※やバケツを使って足に負荷をかけたトレーニングをしていました。
しかし、どんどん脚力が強化されるにつれ負荷を増やす必要がありました。
そこで、最終的には
体にくくりつけたベルトで3キロほどある四角い排水溝のふたを引きながら、50メートルを2回ほど泳いでいる。
https://www.asahi.com/articles/ASP8T5SW0P8LUTIL00C.html
身長140㎝、体重33キロと小柄な山田選手にとっては、かなりの負荷であることが想像できます。
しかも、驚きなのは、山田選手も「これがいい」と話してこの形に落ち着いたということ。
さらに、すごいのが、
毎日1時間半のトレーニングを中学3年生で高校受験を控える中、勉強との両立をしながら毎日続けてきたこと。
銀メダルは、一般のひとでは考えられないような過酷なトレーニングの積み重ねと試行錯誤を続けた結果なのですね。
ところで、
夢のために、ここまで努力を持続できる山田選手のメンタルの強さは、一体どこからきているのでしょうか?
メンタルが強い!座右の銘は 「無欲は怠惰の基である」
山田選手の座右の銘は、
「無欲は怠惰の基である」
という渋沢栄一のことばです。
「欲が無いのは,今の現状に何の課題を見出さず,ただ受け入れている状態だ」という意味です。
「無欲というのは本気でやっていないからだと思う。
出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210825/k10013223491000.html
私だったら『メダルを取りたい』という思いがあって、何事も本気でやって自分の願いに素直に向かっていきたい」
14歳でこのように話せる山田選手は、アスリートとしてのメンタル力もすごく強いというのを感じさせられます。
亡き父への想い
山田選手の父・一偉(かずい)さんは2年前にがんで死去しており、メダル獲得後のインタビューでも父に喜びを伝えたいと話していました。
幼少期には、水泳の話をすると「俺も昔はカッパだったんだよー」とよく言ってくれたそうです。
「天国があるなら見ていてくれているんじゃないかと」。そう信じて泳ぎ、父に捧げる銀メダルに「パパに頑張りました、私もカッパになりましたと伝えたい」と声を震わせた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a64317b61bbcc318b52c5493332d34d702889d50
生まれつきの障がいや、父の死去など14歳にしては多すぎる様々な出来事に向き合ってきた山田選手。
今後の活躍も見守っていきたいですね。



